私の尊敬する河野通文調教師

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(画像出典:ウィキペディア)

 

河野 通文(こうの みちふみ)

1950年1月8日

愛媛県北宇和郡松野町出身

日本中央競馬会美浦トレーニングセンターに所属していた調教師

 

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私が馬を見るようになってから、たくさんの、それはたくさんの尊敬する調教師の方がいたのですが、なかでも直接交流があったという意味で、「河野通文」氏を押したいと思います。

 

私が競馬を見始めたころは、栗東に販路トレーニングコースが作られて、そこで鍛えられた馬たちが、次々に勝ち星を上げたことから、西高東低の時代と呼ばれていた時代で、あわてて美浦トレーニングセンターでも、販路を作って、馬たちを鍛えようとする空気があった時代だった。

 

境勝太郎」さんのサクラ軍団も、メジロ軍団も、一息ついていた、そんな時代だった。

小西調教師などと、ほぼ同年代の河野氏は、いち早く販路トレーニングにチャレンジし、幼い馬たちを鍛え上げていった。

 

当時、美浦では、そういう「厳しい鍛錬は馬をいためるだけで、血統や走る能力の低い馬のやること。
といった風潮が強く、もともと出戻りでもあった河野氏に、ひややかな視線が投げかけられていた。

 

それでも河野氏はめげることなく、まだ幼い駿馬たちを、遠慮なく鍛え上げていった。

結果はすぐには反映されなかった。

 

それゆえ相当蔭口のようなことも言われたらしい。

しかし2年目の春から、その結果は出始めることとなる。

 

当時、個人的にお願いしていた一口馬主の馬も、河野さんに鍛えられて、デビュー3戦目で勝ち上がっていた。

競馬関係で取材して、連絡先を覚えていてくれたようで、必ず出走前には連絡してくれて、状態を教えてくれる実直そのもののひとだった。

 

残念なことに暴力関係とつながりがあると判断され、免許をはく奪されたようだが、私からしてみれば、「いっさいクリーンな調教師などいるものなのか?
疑問しかのこらない事件だった。

 

歯に衣着せぬ、ほんとうにまっすぐな方だっただけに、うとまれて追放されたのではないか。
と、個人的には今でも思っている。

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最終更新日: 2018年05月22日

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