信念を貫いた戸山為夫調教師。

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私が競馬を始めた頃、クラシック戦線で堂々の主役を張っていたのが、「ミホノブルボン」です。

 

戸山為夫」調教師はハードトレーニングで知られ、当時栗東に出来たばかりの坂路調教をいち早く積極的に取り入れた人物でもあります。

 

まだ開業間もない調教師には質の良い馬が入厩することはあまりなく、どうすれば抵抗できるか。

その答えが「鍛えて最強馬をつくる」戸山流だったのです。

 

ミホノブルボンも決して良血と呼ばれる部類の馬ではありませんでした。

血統的にもスプリンター色が強く、クラシックを目指す馬主さんなら好んで手を出すタイプではなかったのです。

しかしミホノブルボンにはどれだかハードトレーニングを課してもへこたれないスタミナがありました。

 

戸山調教師は、大抵の馬が一本もしくは二本しか登板しない坂路コースをミホノブルボンには3~4本、多い時には5本の坂路調教を施したと言われています。

 

大事な管理馬を故障させたとなれば馬主さんも離れてしまいます。

調教師は強い馬を作るということが一番ですが、それ以上にいかにして故障させずに強い馬を作るかということが重要になってくるのです。

だからこそ、普通ならこんなハードトレーニングはありえないわけです。

 

しかし、この調教法だからこそミホノブルボンが出たとも言えるわけであり、戸山調教師が失敗を恐れずに信念を貫いた結果と言えるのではないでしょうか。

 

プロジェクトX ミホノブルボン~鍛えて最強馬をつくる

 

 

 

h4スパルタでミホノブルボンを鍛えて育てた戸山為夫調教師

 

 

競馬は血を競うものとしてありますので、良い血統というのが人気です。

 

しかし戸山為夫調教師はそんな馬に目もくれず独自路線を歩んでいきますが、そんな中で「ミホノブルボン」という馬に出会います。

 

母の「カツミエコー」は地方で1勝しか出来ない馬で、種馬も「マグニテュード」というその馬の両親の血統が良くて種馬になったような馬で構成された馬ですので、周囲の評価は非常に低いものでした。

 

そんなあまり良いイメージのない中で競走馬生活を始めますが、戸山調教師のスパルタ調教によって素質を開花させていきます。
馬は預かりものであり、高いものでは億を超える馬もいるほどですので、あまり故障を与えたくないという考えがほとんどですが、戸山調教師は「坂路の鬼」と言われるほど調教を積んでいきました。

 

そしてデビューする頃には古馬と大差ないくらいのタイムを叩き出すほどの馬になっており、そのスパルタ調教が実って活躍をしていきました。
デビュー戦から驚異的なレコードで優勝し、その勢いで朝日杯3歳ステークスまで制しました。

 

そして4歳になると皐月賞、東京優駿と得意の逃げで制して、3冠の夢まで見られるような存在までなりました。
惜しくも菊花賞では2着に負けてしまうものの、輝かしい戦績を残して引退をします。

 

多くの馬はスマートに育てられ、そして活躍する馬というのがほとんどですが、戸山為夫調教師が育てる馬は調教によって開花した馬が非常に多いので、魅力のある調教師でした。

 

 

h4馬も人も育てた戸山為夫調教師。

 

 

強い馬には腕が確かな騎手が乗る。

これは至極当然のことであり、世界的に見てもその図式が成り立っています。

 

仮にデビューした時に見習い騎手が乗っていたとしても、馬が強ければ、乗り変わりになることも珍しくありません。

 

しかし、日本では昔から師弟愛という言葉もあるように、仮にダメでも自分の弟子を乗せ続けるといった風潮がありました。

結果が重要なことは誰もがわかっていること、しかしそれだけでは味気なく感じてしまいませんか。

 

」というものは、ある種、日本人の美学的な部分もあって、競馬ファンもそういう師弟愛に心が惹かれると思うのです。

 

最近では馬主の権力が強くなりすぎたせいか、結果を出していても短期で乗りに来る外国人騎手や、地方から移籍してきた騎手に乗り変えるといってシーンを多々、目にします。

 

しかし、私は損得抜きで「師弟愛」を貫く、スタイルを応援したいと思っていて、その原点が「戸山為夫」調教師でした。

 

戸山師はどんなに管理馬が活躍しても徹底的に弟子を乗せ続けたことで知られ、預かる馬主さんにも自厩舎の騎手を乗せるといった契約をしてからではない預からないと言われています。

 

確かにリーディング上位の騎手を起用すれば、もっと勝てていたかもしれません。

しかし、戸山師の元で研鑽を積んだ中から「鶴留明雄」、「武邦彦」、「森秀行」といった早々たる名調教師が生まれたわけですから、戸山師の想いは決して間違っていなかったと言えるでしょう。

 

 

h4スパルタ調教の生みの親 戸山為夫師

 

 

馬券を楽しむ私達競馬ファンが、それぞれ違った見解があるように、競走馬を育てる調教師にも独自の考えがあるようです。

 

故「戸山為夫」師が率いた戸山厩舎、キャリアがある競馬ファンにはよく知られたスパルタ調教の第一人者であり、独自の調教哲学を築きあげた調教師の一人です。
1992年のダービー馬「ミホノブルボン」の育ての親と言った方がわかりやすいかもしれません。

 

栗東の坂路調教と言えば戸山厩舎を抜きに語れない、ハード調教の鬼とも言われた戸山師でしたが、スプリンター資質が高いと言われたミホノブルボンの皐月、ダービーの勝利はその信念無くしては実現しなかったと言われています。
スプリンターとは正反対のステイヤーの大舞台菊花賞でさえ、敗れはしたものの「ライスシャワー」の2着まで持ってきた手腕は当時の血統論者を驚かせたものでした。

 

ミホノブルボンがクローズアップされがちですが、厩舎開業4年目にして「タニノハローモア」でダービーを制覇しており、実はダービーを2勝しています。

 

設備は違えど、スパルタ調教へのこだわりは開業当初から貫かれていたと言われています。
しばらく低迷を繰り返した後に出会ったミホノブルボンの活躍により、鍛え上げて強い馬をつくるということを証明したわけですが、競馬というものは馬主と調教師の信頼関係によって成立している世界ですので、スパルタへの理解を得るのはそう容易ではなかったようです。

賛否両論であった調教哲学を曲げずに信念を貫いた姿勢に共感させられるものを感じるのです。
もしもミホノブルボンの活躍が無ければ知られることが無かったかもしれませんし、それに共感する者もいなかったかもしれませんが、戸山師は間違いなく競馬の世界に名を残す調教師の一人であると思うのです。

 

 

h4近代競馬の調教方法を編み出した戸山為夫調教師

 

 

戸山為夫」調教師は、近代の日本競馬を根本から変えたと言っても過言ではない人物です。

 

私が彼を素晴らしいと思うのは、能力というのは生まれたときから決まっているものではないというある種の精神論を、新しい調教方法の導入によって完璧に証明してしまったことです。
そして、現在でもこの影響は競馬界を支配しています。

 

近代競馬は、トレーニングによってサラブレッドを強くし、苦手な距離やコースを克服することができるようになっています。

 

特に関西の坂路による調教は近代競馬では最もポピュラーな調教方法になっており、利用していない調教師はいないと言っても過言ではありません。
しかし、実は一昔前まではこうしたトレーニングによるサラブレッドの能力向上に関して疑問が持たれていました。

 

サラブレッドというのはその名前の通り、徹底的に追及された血の結晶なのです。

 

競馬はブラッドスポーツと呼ばれていますが、この言葉は決して誇張などではなく、何百年という長い期間の中で血を掛け合わせていった結果、能力が低いものはレースという人工淘汰によって駆逐されていくようになっています。
だからこそ、生まれたときの能力によってサラブレッドの全てが決まると言っても否定は出来ないのです。

 

しかし、戸山為夫調教師はこの考えを徹底的なスパルタ調教と坂路を使ったトレーニングによって完璧に克服しました。

 

そして、その新しい調教方法を見事に達成した「ミホノブルボン」という一頭のサラブレッドは、今でも語り継がれているほどの名馬となっているのです。
その功績は間違いなく賞賛に値します。

 

 

戸山 為夫(とやま ためお)

1932年1月5日 – 1993年5月29日

京都府久世郡淀町出身

日本中央競馬会(JRA) 調教師

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最終更新日: 2018年05月22日

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