もっと見たかった田原成貴調教師。

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私だけではなく、競馬ファンならもっと「田原成貴」調教師を見たかったと思うのではないでしょうか。

 

騎手時代にその卓越した騎乗センスで多くの大レースを勝ち、元祖天才と呼ばれた「田原成貴」騎手。

 

記録も凄いですが、それ以上に記憶に残る名騎手であり、実に華のある騎手だったと思います。

その田原騎手が調教師に転向したのが、1999年。

 

厩舎のチームカラーを決めたり、厩舎で使用する軽トラックのニックネームを公募したり、公式ファンクラブを発足させたりと、それまでになかった如何にも「らしい」厩舎運営で、競馬ファンをワクワクさせてくれたものです。

 

開業当初から大手有力馬主からの支援もあり、2000年にも早くも「フサイチゼノン」で弥生賞を勝ち、重賞初制覇。

新しい時代がやってきたと思ったものです。

 

しかし、そのフサイチゼノンを巡り、馬主との軋轢が生じ、そこから全てが転落していった感がありました。

2001年には銃刀法違反、覚醒剤所持などで2度の逮捕。

調教師免許を剥奪され、競馬の世界から去っていくことになるのです。

 

その後も競馬誌のコラムなどで目にすることもありましたが、3度目の逮捕などもあり、今ではすっかり目にすることもありません。

 

天才と狂気は紙一重だと言われますが、田原成貴に関してはまさにその言葉通りだったと思います。

 

現役時代のあの華麗な活躍を知っている人間からすれば、今頃順風満帆に調教師を続けていれば、どのような活躍を見せてくれたのかと残念でなりません。

 

1987年オークス 勝利騎手インタビュー 田原成貴(マックスビューティ)

 

 

 

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田原 成貴(たばら せいき)

1959年1月15日

島根県鹿足郡柿木村出身

日本中央競馬会に所属していた元調教師、元騎手

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最終更新日: 2018年05月22日

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