サクラスターオーが教えてくれた、競馬のロマンと厳しい現実

sakraサクラスターオー」が活躍する頃、「競馬はロマン」という言葉を良く耳にした。

 

今にして思えば、まだまだ市民権を得られていなかった競馬の印象を良くしようという、JRAのプロバガンダだったのかもしれない。
しかし、私はその言葉に大いに共感した。

 

競馬場が家から近かったという環境のせいか、日曜日の午後3時、特に外出していない時は、子供の頃からテレビのチャンネルは競馬中継に合わされていた。

 

ミスターシービー」や「シンボリルドルフ」なんて単語を口にする中学生など、当時は自分以外に皆無だった。

 

馬券には興味が無かったので、健全なスポーツ観戦風だったのが救いである。
高校生になり、シンボリルドルフに打ち負かされるミスターシービーを見て「現実とは厳しいものだな」、などと独り言のように嘯いていた。

 

友人との付き合いや勉強が忙しくなり、すっかり競馬観戦とは遠ざかっていた頃、サクラスターオーという馬が出現する。

 

サクラスターオーは1987年の、当時で言う4歳世代(今で言う3歳)で春に皐月賞を制したものの脚元を痛め休養、ダービーは断念していた。

 

そのダービーで圧巻の勝利を飾ったのが「メリーナイス」で、距離適性や気性という言葉すら良くわかっていなかった私は、菊花賞もメリーナイスが圧勝するだろうと勝手に予想していた。

 

しかし、スタートから終始かかり気味だったメリーナイスは直線に入って失速。

まだゴールまで2、300mはあるだろう位置から杉本アナウンサーのサクラスターオーに照準を合わせた名調子が始まる。

 

この人にロックオンされたらもう間違いない、勝つのはサクラスターオーだと悟った。

 

そして有名なフレーズ「菊の季節に桜が満開」である。

 

皐月賞以来、脚部不安で休養していた馬が半年ぶりの菊花賞を制するなんて劇的過ぎる。
しかも後から聞いた話では、サクラスターオーの母馬はスターオーを産んですぐに亡くなり、スターオーを育てた乳母もこの菊花賞の前年に亡くなっている。

 

これはもうロマン以外の何者でも無い。

 

すっかりサクラスターオーに魅せられ、日曜日の競馬観戦が復活していた私は、その年の有馬記念もサクラスターオーが余裕で勝つだろうと、寝転がりながらテレビ観戦していた。

 

レースの3コーナーあたりまでは「競馬はロマン」、その後の闘病生活を含めたサクラスターオーの死は「厳しい現実」であった。

 

7戦4勝2着1回、うち競走中止1回。
この馬を超える存在の馬には、残念ながら未だ出会えていない。

 

第47回 皐月賞 1987.4.19 中山 芝2000m 天候:晴  サクラスターオー

 

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最終更新日: 2018年06月25日

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