記憶に残る2冠馬サニーブライアン

sani私は元来から逃げ馬が好きなのですが、記憶に残る逃げ馬と言えば「サニーブライアン」がいます。

 

サニーブライアンは、当初は全くと言って良いほど注目されていない競走馬でした。

新馬戦は逃げて2馬身以上の差をつけて勝利、多少は注目されるようになります。

 

しかし、その後は2番人気に支持された百日草特別で逃げて5着、重賞初挑戦となった府中3歳ステークスでは、先行する形になり2番人気ながら7着と人気を裏切ってしまいます。

 

翌年の1996年は若竹賞で2着になった後に、ジュニアカップで勝利、多少は注目される存在となります。

その後はトライアルレースの弥生賞に出走して先行策で3着になり、優先出走権を得ます。

 

しかし、ここでさらに若葉ステークスに出走させ4着に敗北してしまいます。

この敗戦もあり、皐月賞では11番人気になってしまいます。

 

しかし、ここでサニーブライアンは素晴らしいレースをします。

 

途中までは2番手追走し3コーナー手前では先頭に立ちそのまま逃げ切ってしまうのです。

あまり注目されていなかった競走馬と、リーディングには無縁なジョッキーと調教師の勝利でした。

 

世間の目は、フロックで逃げ切ったんだろうという評価でした。

実際次のレースの日本ダービーでは、皐月賞馬にも関わらず、6番人気という低評価になってしまいます。

 

そこでも、鞍上の「大西直宏」はサニーブライアンを信じて逃げのレースをします。

 

そのレースでもフジテレビの三宅アナウンサーが「これはもうフロックでもなんでもない!2冠達成!」と大絶叫する快勝でした。

 

その後は、骨折をしてしまい引退してしまうのですが、この2冠のパフォーマンスは名馬のパフォーマンスでした。

日本ダービーでは、後に最強逃げ馬と称される「サイレンススズカ」がいたのも、何かの巡り合わせかもしれません。

 

日本ダービー サニーブライアン

 

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最終更新日: 2018年05月22日

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