函館記念に最後の輝きをくれたサッカーボーイ

sakka日本がバブル景気に沸いていた頃、競馬人気も絶頂を迎えていた。

最強世代と呼ばれた1987年デビュー組は、弱かった関西馬の大逆襲もあり、異様な盛り上がりを見せていた。

 

それまでの関西馬と言えば、関西でどんなに凄い勝ち方をしても、「関西の秘密兵器」という都市伝説的言葉の枠に収まるような馬がほとんどで、少なくとも東日本の競馬ファンからバカにされていたのは紛れも無い事実である。

 

この世代では必ずと言っていいほど「オグリキャップ」の事が最初に語られるが、年明けからダービーまで一貫して話題をさらっていたのは「サッカーボーイ」である。

 

前年暮れに行われた阪神3歳ステークスをぶっちぎりで勝利し、その綺麗な容姿と相まって関西に限らず人気になっていた。

 

しかし、弥生賞では「サクラチヨノオー」にあっさりと逃げ切られ3着。

やっぱり秘密兵器のままか・・」という溜息と安堵感が日本中で交錯した。

 

その後体調を崩し日本ダービーも惨敗したが、次走の中日スポーツ賞で皐月賞馬の「ヤエノムテキ」を差し切り、漸く素質の片鱗を見せ、夏の北海道・函館に乗り込む。

 

当時の函館開催は今と違い7月からの2ヶ月間であり、函館記念にはそれなりの活躍馬が揃うことが多かった。

 

この年も前年のダービー馬「メリーナイス」や、3年前のダービー馬「シリウスシンボリ」、2冠牝馬「マックスビューティ」など有力馬が勢揃いし、さながら夏の北海道でGI競争が行われるような盛り上がりであった。

 

その盛り上がりの中、サッカーボーイは前年のダービーをぶっちぎりで勝ったメリーナイスをぶっちぎり、日本レコードで勝つというとんでもない事をやってのけた。

 

このレースがワクワクする函館記念としては最後のレースとなった。

数年後に別定重量になったものの、G2札幌記念の新設によりハンデ戦に戻され、挙句の果てに函館の開催時期は雨の多い6月に移動、不況の波に飲まれて未だもがき苦しむ函館と共に、何とも寂しい開催に様変わりしてしまった。

 

開国と共に繁栄し、一時は東京以北で一番の都市だった函館は、開拓の中心が札幌に移され、その地位を札幌に譲った。

 

競馬の世界で函館記念がこうなったのも必然なのかもしれない。

 

サッカーボーイ  「中日スポーツ賞4歳ステークス」 (G3)

 

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最終更新日: 2018年05月22日

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